世界観のつくりかた

引っ込み思案の為のエアリアルシルク魅せ方講座

「パフォーマーって、観る人を楽しませる明るい人がなる職業でしょ」ですって?
一体誰がそんなことを決めたのでしょう。

この世界は多様性ありき。

愛想を振りまくのが苦手、観客の目からどう映っているか怖くなる、そんなあなたも安心。
使えるものは何でも使うのがクリエイティブな思想というもの。

今回は、根っからの引っ込み思案がステージで輝ける方法についてお教えします。
ステージは静かに浸りたい派の観客の皆さまも是非ご覧下さいませ。

目次

  • シャイなあなたのための戦法
  • 観る人を困らせる要因と、観る人に与えられるもの
  • ここがブレなければ大丈夫、基本の軸について

シャイなあなたのための戦法

エアリアルシルクと「内向型」

人は外向型と内向型に分けられます。
この区分は、一般的にはコミュニケーション能力など、人との関わり方に関して用いられます。
しかし本来はもっと別の意味なのです。
興味関心、もっと言えば意識そのものが外側(環境や他者)に向かっているか、内側(自身の感情や直感)に向かっているかという違いです。

エアリアルシルクにも外向型の魅せ方と内向型の魅せ方があると、私は考えています。

私は自他ともに認める内向型エアリアリストです。
※エアリアリストとは、エアリアルパフォーマーの別称。和製英語です、多分……

観る人を盛り上げて楽しませるパフォーマーという仕事に於いて、内向型はどちらかといえば不向きかも知れません。
しかしエアリアルシルクは内向型と相性が良く、観客に影響を与える要素が大いにあると私は感じています。

具体的にどうしたら良いの?

思いつく限りを述べてみましょう。

エアリアルシルクは「巻く」「回す」「掛ける」といった複雑な手順がある故に、ひとつの技を完成させるまでの時間が長いのです。

それだけ自分自身に意識が向く時間も長くなる為、シルクの一連の手作業そのものを「振付」として魅せる手段が生まれます。

結果、あたかもシルク自体と、粛々と向き合う世界が繰り広げられるという寸法です。
スローな曲も相まって、ゆったりとした空気が流れていきます。

それはとても不思議な光景だと思いませんか。
これで内向型エアリアリストでも、安心して魅せられるショーが完成します。

……え、それだと観客が置いてけぼりですって?

確かに、お酒を召し上がって出来上がって盛り上がって上げ上げしたい紳士淑女にお見せするには、これでは物足りません。

でも大丈夫。

万人受けこそ望めないものの、確実にこの表現を必要としている方々だっているのです。
そして何より、人間ずっと盛り上がり続けるのも疲れるでしょうから。

観る人を困らせる要因と、観る人に与えられるもの

困らせる要因と、シンプルな対処法

内向型エアリアリストの一番の問題点は、観る側の目線に立ちづらいことです。
どうしても独りよがりになるリスクがついて回ります。
そんな状態で「私の表現はわかる人にだけわかれば良い」だなんて言おうものなら、職務放棄になってしまうでしょう。

…書いていて心が痛いです。
そこで、私はごく最低限の「魅せる側としてのルール」を自身に課すことにしました。

 

1.観客にしっかり目を合わせ、手の先を向ける瞬間を作る。

2.動きを大きくする。

 

これだけでも観客からしたら「こっちを見られている」と意識することでしょう。
見境なく、あらゆる方向に視線を送ります。

人って誰かにじっと見られたら、気になってしまうものですから。
めでたく目が合ったら、ニヤリと笑ってやるのです。

更に過剰なくらい動きの軌道を大きく描けば、「このエアリアリストは『好きにしたいので放っておいて下さい』って言いたいのかな?」などと間違った印象を与えずに済みます。
見栄えとしても、その方が断然美しい。

与えられるものと、自覚すべき強み

ここから先は、内向型エアリアリストが観客に与えられるものについて話しましょう。

外向型・内向型と似た分け方として、エンターテイメント(演芸)とアート(芸術)があります。

一緒くたにされがちですが、それぞれ外側に働きかけるか内側を昇華させるかという真逆の性質を持っています。

内向型エアリアリストのショーは、アートの要素が強めに混じります。

それは、「私のやってることは芸術だから!簡単には理解なんてされないんだからね!」等と高飛車なことを言いたいのではありません。
(そもそも芸術が高尚なものだなんて一概には言えないと思います)

アートの醍醐味は、正直な表現にあります。
言葉にも出来ないような心の混沌を、言葉以外の手段で発露させるからこそ、誰かの気持ちを代弁することが出来るのです。
それに、心置きなく本心を晒している人を見るのは小気味良さがあります。

例えば、私の好きなダークな演目であれば「無理に明るくならなくて良い」というメッセージを込めているし、神聖な演目であれば「荒んだ思いを包み込みたい」という意図があります。
いずれの表現も、周りの空気から意識を離す必要があると考えています。

空気を読んでいたら出来ないことも、意外とあるのです。

「観る人を笑顔に」
「皆を元気づけたい」
…そんな言葉は私の口からは言えません。
しかし、誰もがこっそりと持っている本心に近づくことなら、きっと出来ると思っています。

ここがブレなければ大丈夫、基本の軸について

もしバリエーションを増やすなら…(希望的観測)

とはいえ、内向型エアリアリストは暗くて重い演目しか向かないなんてことはありません。

愛らしくてハッピーな世界観を出したいのであっても、基本は一緒です。

私はまだ演ったことは無いのですが、いずれ経験してみたいと思っています。
その時は、花を愛でるように、子供が遊んでいるように、無邪気にシルクに向き合ってみたいです。

明るくあれ暗くあれ、シルクにまっすぐ向き合う姿勢を崩さなければ大丈夫。

あくまでパフォーマンスをしている時の感情を、観客に伝えて共有することが基本なのです。

目の前のことに夢中になっている様子は、きっと魅力的に写ります。

これだけは忘れないでね

そして内向型だからといって、決して観客のことを心にも留めないわけではありません。
誰にも観てもらえないことはとても悲しいことです。
それだけではなく、純粋にショーの最中、観客の様子を見てみたい時があります。
その時は、反応を気にしているのも正直なところですが、何より同じ気持ちに引き込みたい思いがあります。

それもあって、目で誘うのです。

意識が外に向こうが内に向こうが、自己満足であってはならないと戒めています。
観客はお金を払って観に来て頂いているのだから、という当たり前な理由だけではありません。
パフォーマーの役割はあくまでひと時の非現実を提供することだからです。

ただ方向性が違うだけ。
パフォーマーが観客をもてなすか、パフォーマーが意図することに観客が引き込むかの違いです。
どちらが演りやすいかは、気質次第。
ひとつの指標です。

最後に

私は元はといえば、自分の好きな世界を作る為に表現活動をしていました。
何せエアリアルシルクを始めた最たる理由が、変身願望を満たしたかったからなのです。

昨今の流行り病でステージに出る機会がほとんど失われてしまった中、「このまま自分の為だけに演っていて良いものか」……そんな葛藤が大半を占めるようになりました。
「誰かの為に演るのがパフォーマーとして正しいのでは」と、そんな当たり前とされていることが怖かったのを覚えています。

私が観客に与えられているものは何でしょうね。
そんな問いに、自ら導き出した答えについて話しました。
表現分野で生きる人たちであれば、きっとぶち当たる壁だと思うけれど、何か拾えるものはあったでしょうか。
もしくは表現を観てくださる方々であれば、舞台裏を覗くような面白さがあったら良いなと思います。

結局は、その人がその人でいなければ遂げられないものがあるのだけどね。

それでは。